片想い
たとえば、あの言葉が、あの場面でのただの常套句だったとしても。
たとえば、あの笑顔が、心の裏側のむなしさの発露だったとしても。
たとえば、あのまなざしが、欲望の演技だったとしても。
それが嘘か本当かなんて何の意味があるんだろう。
わたしがそれに心動かされたという事実。その感動が、いっときでも私を支配したという事実。それがすべてだ。
背徳感がわたしの思考と感情を複雑にする。こんなにちっぽけな背徳感でも。まったく楽じゃない。でも、それがいい。わたし自身の感覚が鮮明に鮮烈に、開いていく。誰にも言い訳できない、誰の責任でもない、「わたし」の熱情の存在。
あの子に執着するかしないかは問題じゃないのかもしれない。あの子の反応に傷ついてもいい。失望してもいい。向こうの気持ちはわからない。でも、わたしの感謝は変わらない。わたしの尊敬も愛着も変わらない。年齢じゃなくて、このタイミングで出会えたことが奇跡なんだって思う。あの子がきっかけをくれたこの感覚を、大事に、深めて、温めて、闘っていく。
わたしはわたし自身を、いつでもまっすぐ、あっけらかんと、開いていくしかないんだ。難しいけど、失敗もするけど、それこそをよしとして、挑んでいくしかないんだ。