taikamieliの日記

北海道在住です。旅行や音楽が好きです。日々の記録を書いていこうと思います。

片想い2

男と女のセクシュアルな関係は本当に不可解だ。

たとえば、それが「友情」ならば、異性同士でも同性同士でも、その関係を育むのには一定の時間がかかる。というのも、お互いにたいする「理解」や「礼儀」が必要になるからだ。

もちろん、友情にも「一瞬の惹かれ合い」はあるだろう。しかし、それが性的な欲望ではない限り、慎重な、控えめな、長期的なものになる。

 

相手がどんな人なのかもわからない。数回しか会ったことがない。相手の話がどこまで本当なのか確かめるすべもない。そんな場合でも(いや、そんな場合だからこそ?)セクシュアルな関係は成立しうる。それが私は心底不思議だ。

たった一回寝ただけで、なんであんなにも相手を掌握した気になるのだろう。自分は全く掌握された気はしないのに。(むしろしてほしいのにもかかわらず。)

寝るまえと寝たあとで、こちらの態度が激変する。

寝るまえは、「あなたのことは、信用していません、なんなら、ちょっと不信感です。でも、嫌いじゃないから、一応、誘いにはのってみます。わたしにたいする態度次第で、こちらも出方を考えます」の警戒モード。

寝たあとは、「あなたのことは、わたしがいちばんよく分かってる。あなたがちょっと強がってても、それをふくめ、理解してあげられる。でも、わたしのことを大事にしてくれないとやだからね」の優越モード。

ここの断絶と飛躍を担保しているのは、たった一夜の交わり。

しかも、それ自体がよくもなんともなくても(!)

恋愛はまさに高度に発達した文化だ。本能や自然などでは全くない。その文化特有の、暗黙裡の記号とコードとルールがある。そこから自由になりたいと思っていた自分がまさにどっぷりと、恋愛の文化の海に浸かっていたのだ。

 

わたしはなにも知らない。本当に。相手も、わたしのことなんかなにも知らない。

だから、お互い礼儀もなく踏み込む。はぐらかす。またほのめかす。そんなことする必要ないってわかってるのに。「文化」に縛られる。不自由だなあ。でも、相手を試すことなく、自分をさらけだすことが怖い。

 

「恋愛なんて面倒くさいし、いまのわたしには荷が重い。あと腐れない体の関係だけがちょうどいい」

そう思ってた。なのに、また会えるとなったら、何カ月もちらかったまんまの部屋を数時間でいとも簡単に片付けて、夕飯の買い出しをする自分がいる。そんな自分がまだいたことに自分自身がいちばん驚いている。自分が矛盾のかたまりなんだ。でも、なんだかそのエネルギーだけは愛しく思えた。それだけは確かだった。もはや相手の為ですらなくて、急に目的ができて生き生きする自分が愛しかったのだ。それがどんなに卑しくても、それでも「相手のためを思って」ってうそぶくよりずっと本当だと思った。わたしはそう、わたしのエネルギーの為に恋愛してる。それのなにが悪いんだ、とも思う。だから、相手にこれ以上求めるのは「おまけ」なんだ。相手が応えてくれたら「もうけもん」なんだ。

わたしは「自分本位な恋」をしたい。それしか本当じゃない。

相手もそうならいい。そうじゃなくても、別にいい。